2009年01月17日

志高い九里さんへ ご質問

合掌
九里さん、ご無沙汰しています チョイワルです。
ブログを拝見する限り、あらゆる分野で奮闘し、ご活躍中ですね。
脱茶漢さんが、昔、会報に特集されていた記事
「有名=一流ではない」これをキーワードに、ここ2,3年色々と社会勉強させて頂きました。
肩書き、会社名、地位、収入、こういうのはあまり僕にとっては興味ない世界です。
もっとも、ネクタイしている業界ほど、自分の個を出せず、拘束された世界だとも想っています。
僕は、ものづくりの穏やかな職人や、スローライフを送る人々が大好きです。
逆に、アーテイストという世界はあまり好みません。職人的技法が積み重ならなくても、成功できるような一発やの世界だからです。
また、アーテイストは言葉は巧みですが、うわべだけのような気もします・・
職人的スキルを持っている人は、雰囲気・第一印象でその人の生きざま・世界観がわかるようになってきました。
よく、ものづくりの若手と話す機会があります。
この不透明な閉塞感の時代に、進む道は職人か、アーテイストか、あるいは、伝統的なものを追求するのか、今様の美を追求するのか・・・ 芸術の世界では、在野、会派問わず、若手、中堅問わず、飯をくっていけない状況においこまれているようです・・
「九里さんなら、若手に、どういうメッセージを伝えてあげていますか?」
 PS 九里さんの先輩の中山さんにはあれからご自宅へ数回行き、精神論・哲学をやりあい、そして多くを学びました。中山さんは珠洲ではスターかつ酒豪の伝説ですね 笑 


673.Re: 志高い九里さんへ ご質問 

チョイワル師匠お元気でしょうか、

自分なりの一つの方向性を見つける、完成させる、そのための努力と時間、

これは何時の時代でも同じですね、
しかしココ数年の時間と言うものは、凄いスピードで進化している

謎とか秘めいた、秘伝、伝承といったものはある意味で無駄になっていってるような気がします
そこまでいく過程のレベル力が必要です

なぜならほとんどの職種技での手法がコンピューターによって公開され誰でも苦もなくおおよそのレベルに達する事ができます

地球の裏まで今のじかんを共有する事で日々の情報交換や見えなかったこと、知らなかった事が手に入る

昔はある特殊な才能を持った人たちは限られ、其れを援助する、権力者がいて、日々の生活や、創作活動を後押ししてきました、モーツアルトしかり、ベートベンしかり、写楽しかり、一茶しかり

いまや生活の情報を仕事としてのジャンルはありとあらゆる項目に達しています、そして其れを皆がたくみに使い分けています

これからの時代で生き残る、又や大いなる心差しを達成するには
そのための技、技術、手法に長けていなければなりません、センスや能力の前に、当たり前過ぎるくらいにのレベルが必要です

勝ち抜くといった、強い気持ちが必要でしょう、自己無限の達成レベルこそ時代の改革者としての成功を収めることとなりますが

そうかといって、ほんの少数だけがではありません、それだけ今の人たちにはチャンスや星の数だけジャンルがあると言うことでしょう

あんまり早くて見えなかったといった昔話
はもう無いということでしょか

見えないではなく、見えやすくその虚実をいかに取り除く事が出来るか
日々の情報に耳を、目を向けていることや、引き出しを捜すべきですね

自分がなにをやりたいのか、曖昧な方向性では達成できない

目的のための、確かなる技術と努力、先見の目、情報の分析、そして人に優しい人間力こそ、今の時代を勝ち抜く力ではないでしょうか

今日は新弟子たちの昇段試験、九里流を名乗る新たな3人の誕生です
技術の進化は止まりません、

自分に出来る事はやっぱり
伝承と秘伝より、優しい人間力と心の目です
posted by 九竜 at 18:08| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

出会いと人作り

ここ三年くらい 定期的に 練習に参加させていただいてる 他支部の子供達との 関係に 今日も一つの出会いと 送り出す 互いの信頼関係に感謝した

二年来て受験の為一時休講と今日は送り出し歓迎をやった

最初は本当に不器用な子だった、こちらが指導するにしても、コマってしまう状態の子だった

毎回行くたびに輝く目で、自分を待っていてくれた

技なんか出来なくても、本人はとにかく一生懸命、当然教えるこちらも
一生懸命、教えてすぐにでも出来るようになるわけでもないのだが

互いの時間の共有を真剣に毎回させてもらった、あれから二年まだしろ帯、もうちょっとで三級になれるところだった、

先日高校生大会に不器用三人組みで団体演武に出た、知らない人は、もしかしてなんだいありゃ!
と思ったかもしれないだろう、

しかしこの大会に出た、参加できた、そして、やりきったことは本人にとって、ひとつの大きな山を征服したくらい大変なことだろう、

今日は鉤手手法の練習、逆手、順手で取られても、鉤手差し替え、目打ちとすんなり、何回も何回もやっていた
少なからず自分の目には熱いものが走るのがわかる

あきらめず、その互いの時間の共有に真剣に向き合った結果でしょう
もちろん、ゼンブの時間を自分が共有したわけではない

道場長の指導力、道院のみなさん、みんなの力だと思う
本人の積極性、技の刷り込み、カレは一つ大きな自信を持ったのではないだろうか

本人の言葉に<技が出来るようになった、受験も頑張ります>

高校の進学が決まって 桜さくの報告がまちどうしいし
又一緒に練習に励みたいものです

自分自身が、あきらめずしっかり向き合ってこれた事を
彼に感謝したい、

いつも自分を待っててくれた、
その輝く瞳には裏切らない、力がみなぎっていた

ありがとう
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白帯さん

白帯、少林寺興味しんしん組のおじさんたちの指導になった

この拳法は最強ですねとか、他武道とやったら勝てますかとか、かわら何枚われますかとか、の質問攻めにあった

まあどの、どんな、武道でも良いが、K-1や最強空手とかと同じルールで戦う時は同じように拳骨や肉体の強化、鍛えなくては同じ土俵で戦えないでしょう、しかもおじさんたちが日常で強靭な体を鍛えるにはまずむりでしょう

それでは少林寺は基本的に護身の術なので根本的に同じ土俵でと考えない
現代人が其れほどまでに体の隅々まで使わなくなったぶぶんを、日ごろから使うところからのヒントがココにはありますよーーーと

全身の骨格や筋肉、をどのように使うかから始めるとよくわかってくると

蹴り一つにしても、腰、腿、膝、足首との順で力体をつないでいく、擬似間接の動きから発する瞬発力、これは自然に歩きながら前に出した足でけるのと一緒、
振り子の捻転の反作用での突きの威力、これも左右に体を振りながら捻転の勢いをそのまま拳頭に伝えるだけと
イロイロやって見せる

古武術や柔術、田や畑、山仕事、いかだ漕ぎ、などなど、日本人が古来より、生活に合わせた体の使い方、がそのまま生かされる話をした

基本の練習の形はそんな体や運足の使い方、攻、守の応用の練習ですから、しっかり考えながら学ぼう

戦うと言う意識であればそれなりに戦う練習をしなければならないし
イロイロ他乱捕りをみていると、やっぱり殴り合いでしかなく、
それで攻撃して有効であればよしなのだが、攻撃された方は攻撃する意識の方が強く受けから反撃する技的意識が低い

言うなれば少林寺らしい剛柔一体的乱捕が少ないし、出来てる人は周りにはいない

使える技の練習にしたいものだから、
日ごろから守り防ぎ反攻撃の理論を実践しよう

白帯さん達  <そうですね> ($$)”

話だけで今日は終わった、、、、、、、)!
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2008年10月11日

2007,10月講習会

石川県地域指導者講習会
日付:9月30日(日) 17時14分

本部から荒井先生と加藤先生の二日間の集中講座
荒井先生は、拳法は難しいか、簡単かに始まって物事を理想的に考えすぎると何でもむずかしい、出来る人はほんの一握りになってしまう、自分の可能性を信じてとなればなおさら初志に戻って自分の出来る所からのレベルではじめること、しかし自分が何をしたいのか、どうしたいのかをはっいりさせよ、との事で柔法、剛法の技の分割、の考えをやられていた、一瞬の技もコマ送りで考えると、その場、その場のポイントにぶつかるはず、自分にとってなにが足りないかをわかって、そこを補うれんしゅをやれ
加藤先生の圧法系は少林寺の技の理念に相対的な応用を用いよとのこと、要するに皆同じ、力、背丈、運動能力ではない、そこをいかに補うかが技の完成、誰でも出来る護身の術であると、
どれも秘攻を突いたり、押したり、ねじったり、しめたりと、とんでもなく痛いコレでは相手が一瞬に戦意をなくしてしまう、其の使い方を知るべし、正し非常に危険な法であるから、間違った使い方はしないように、必ず生法、活法、の理を納めてからの手段にせよと

乱取りの運用法では基本になる、単撃の法系をしっかり段階的に学び、其の段階レベルにあった乱捕りの仕方をやれと、言うことで

脱茶漢先生との初乱捕りになった、軽く当てない軽乱でとのことで始まったが、脱茶漢先生のスピードのある突き蹴り、しかもあてないでとの出なく、ドンドン当ててくる、こうなれば自分のそのレベルでやるしかない、ドッチも引かず、5分くらいやったか、息も切れ切れで脱茶漢先生はまだまだやる気で早くストップが掛からないかと

終わって脱茶漢先生も息切れ切れ、あれー!そんなそぶりもなかったが
脱茶漢先生いわく<九竜さんがドンドンスピードを上げてくるのでわしもやったと>どうも二人は引き寄せられていたようだ
まあとにかく久の久ぶりに乱捕りをやって気持ちがよかった

posted by 九竜 at 21:09| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前例のない人造り

日付:9月12日(金) 22時45分

習い事や塾、など人を教えていく環境造りほど難しいことはない、目的意識や、目の前の希望に対してはっきりしている場合はおおよそ、イコールになっていくが、習い事ではあるが、その主とするポイントをはっきりしないと、ぼけてしまう
もうかれこれ半年以上子供達を指導していく中で、技と人造りのバランスにイロイロなやんでしまう、体育会系でもない、そうかといっても会話塾でもない、一つの目標と路線がはっきりしないと、どう指導していけばよいかわからなくなる、前例がなく新しく始めたぶんだけ、塗りつぶしていくにはエネルギーがいる、歴史伝統的なやりかた、本人のエゴだけですすめられるものではない、
おおよそ子供達は家庭環境において、しつけや人間造りが出来ていないところを、親はどこかに預ければ何とかなると思っている、押し付けられて困るのはこちらだが、そこをどう向き合っていくか、向かせられるか、本人意識の向上を待つか、造りあげていくか、
自分はお互いに向き合って大いに話合い、自己意識を挙げて行きたいが
子供達はお構いなし、ここは大人と子供の接点をしっかり意識付けなくてはならないのだろうか、何処までが子供で、何処までがその次か
歳に関係なく、子供同士、つるむ修正を断ち切り、お互いの人格的威厳や責任をはっきり出来れば一つ、進んだといえるのだろう、
出口の見えない、時間との競争、しかし一つ一つ向き合う質がその出口を見つけていける唯一の手段ではなかろうか
今日は迷ってしまった、明日はまた挑戦、絶対に負けてはならない

posted by 九竜 at 20:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

他武道の悩み


日付:8月17日(日) 19時39分

先日空手系の拳士の悩みを聞いた、極真系、大道系だそうで、練習のやり方、3分間攻撃、と受けの繰り返しの練習、簡単な法形みたいなものはあるがとにかくやるしかない方法なので、慣れるしかない、しかし若者ではないのでかなり、しんどいとのこと。

この人は身体を動かしたくて入ったので、それはそれで良いと思うのだが

技的に悩んでいるのか、どうすればもっと上手くやれるように、なるかを聞いているみたいだが

やられて、何故かそれからどうするか、の応用や復習、の対応力に欠けているのではと思った

殴られるといっても、喧嘩じゃないので、そこにはルールにのっとった隙間があると思う、相手の技の隙間を見つけるようになれば、1つでも、二つでも技を返すことになる

技の多い少林寺でも道場にきた時だけ練習、予習も復習もなく技の進化や意味合いさえ出来ない人も居るが、どこの流派でも運動神経とかじやなく、自分のやってる楽しいことえの、執着心、探究心、反復心など
もっと自分がスリリングに楽しく段階をもって上手になっていく先見を作っていこう

もちろん心身共に素晴らしい指導者に師事できることに越したことはないが

自分も習うという、高い姿勢が必要である

posted by 九竜 at 20:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月25日

村の鎮守 神々への祈りと感謝 駄茶漢より

 前略 金沢市の畝田に武三熊神社という名社があることを初めて知りました。日本史が苦手でしたけれど、放送大学で日本の古代史や考古学を学び、日本古来の多様で力強い神々を知りました。「日本人は無宗教」というのはウソです。「すべてのものに神が宿る」と古代の人は考え、素朴なアニミズムが今日の私たちに受け継がれています。一方、敗戦後、GHQは国家神道と民衆の素朴な神社神道をゴッチャにして宗教法人法を設けて、排斥しました。武三熊神社の祭礼がそうであるように、村の鎮守のお祭りは宗教行事と言うより、民衆の暮らしに根付いた四季折々の祈り、自然への感謝なのです。今回のブログで、宗教とは何か?を考えさせられました。草々


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481.Re: 村の鎮守 神々への祈りと感謝
名前:九竜 日付:10月8日(月) 16時49分
駄茶漢 先生、
チョイワルさん

書き込みありがとうございます、

そこに住む人たちの心のより所は何か
自然への感謝、人々の心、人間は寂しいがりや、一人で生きてはいけない、
生かされた事への感謝を常に確認していかねば、存在感を失う、

私たちはいつも愛情を持って支えられていくことが大切、

ダーマに生かされて、生きてることに感謝することが人という愛情を生み出す、

お互いがお互いに、支えられて生きることがダーマ信仰の確認ではないか
posted by 九竜 at 19:14| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

金剛禅活動でもこの笑顔を

最高の日和になった大祭、太鼓の行くとこ、いくとこ、村の隅々まで
<村といっても、金沢市では世帯数が一番多い、巨大化町>

じいちゃんもばあちゃんも、お母さんお父さん、チビたち、みんな心の太鼓、神輿、獅子舞、悪魔払い、を待ってた、神事の参加している人たち以上に、みんなの笑顔がうれしい、

最後には涙、初めて参加した人たちは、この神事に呼んでくれてありがとうと、大きな涙を流していた、

人々のまつわり、ココで生きている、皆に生かされていることがどれだけ大切か感じる時間、祭りは人々の日頃の時間の摩擦を、調和してくれる

自分達の金剛禅活動も、最後には人々の最高の笑顔がみんなの生きていく時間の中に、強く心に残る物ででなくてはならない、

神様を拝む時、ひとりひとり、合掌、そして、ありがとうと唱える、
posted by 九竜 at 19:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

魂の洗濯、金剛禅活動の倫理

明日は三年ごとに行なわれる 武三熊神社の大祭である、前田利次の命により開神された、戦後忘れられていた大祭を父たちの時代に再開された、五穀豊穣を願ってのお祭り、戦後の苦しい時代がおわって皆が少しの余裕が出来てきた時に村の若い衆が町の発展を願って

この辺は加賀平野の平地で聖徳太子の時代から<大徳>銘を受けるほど水が豊富な田園地帯であり、ここは田圃の畝を取って、畝田とされている

一年の収穫を祝う気合の入った一日になる、くしくも県庁が来て田圃がなくなるときの、最後の生産組合長であった自分はひときわ心に残る物がある、

今は町の活性化と壮年部の交流、と新時代のお祭りに変化しようとしている、祭りを見ると涙が出る人、日頃あまり喋らない人が、祭りによって自分をさらけ出す、

今日は豊年太鼓の飾りつけ、皆がみんなの意見や考案を出し合い、普通なら、まとまるものもまとまらないようなことが、最後には進化した祭りの気合にかわった、みんなの思いが明日爆発、そして涙、笑顔、三年ぶりの男達の熱き一日になる。


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478.Re: 魂の洗濯
名前:チョイワル 日付:10月6日(土) 23時30分
九里さんの地域のお祭りは文化の香りが高く興味ある行事ですね。祭は神輿をかつぐと楽しいですね。神輿は過去−現在−未来へ連綿と人間の魂や歴史、文化を伝える”メッセンジャー”のように感じます。祭りのピーク時には結界(人間社会と別世界の境界線)を破壊し、己の魂が神々と一致する瞬間を時々感じます=尊崇(=ダーマ/宇宙の法則を感じる)奥能登のキリコ祭、チョンガリ祭などでも身体で体験しました。温故知新。故の本質を知って、どう今に新しきものにして置き換えるかが、課題です。最近、地域で途絶えていた神輿祭りを考案/復興/成功させました。(鈴見観音を祭る)神輿を息子と一緒にかつぎました。地域に必要とされる人間になりたい。そのためには特に若造は「郷土(ふるさと)愛」を先人/地域の人たちから学ばなければいけないと感じました。
また勉強になりました。ありがとうございますm(__)mチョイワル
posted by 九竜 at 18:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月24日

中学生の初段について

名前:陀茶漢 日付:9月12日(水) 16時18分
九竜さん、お久しぶりです。11日付のブログによると、中学生の初段受験者がいる様子。中学生からは一般部の試験になります。技術はなんとかなりますが、難しい漢字の多い学科試験は、中学生には大変です。先日立ち会った昇格考試では、初段を受けたおよそ半分の中学生が学科で不合格、あるいは学科の居残り再試験でした。中学生の学力に大きな差があることも頭に置いて、学科の指導をしてくださいね。


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名前:九竜
陀茶漢さんありがとうございます

そうですね、何の為の試験か、

人作り、自分作り、社会の中の自分と言う者がいかに生かされるか!そのための学習の大切さをわかってもらおうと思います

29,30の指導者講習会参加します

                      合掌


posted by 九竜 at 19:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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